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吉屋 信子よしや のぶこ

県立神奈川近代文学館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治29年1月12日(1896年)
没年昭和48年7月11日(1973年)
職業等小説家
出身新潟県生まれ
ゆかりの地
  • 大正15年 落合町大字下落合2108
  • 昭和10年~昭和20年 市谷砂土原町3-18

経歴

 吉屋信子は、新潟県警察課長の父吉屋雄一のもとに、第5子(長女)として誕生した。父は後に栃木県下都賀郡長を務めた際、足尾銅山鉱毒事件で行政の責任者として奔走した。女学校を卒業後、作家を志して上京した信子は東京帝国大学在学中の兄のもとで生活を始め、短編少女小説を執筆していた。大正5年、『花物語』の第1編「鈴蘭」が「少女画報」に採用され、以降少女小説の作家として認められた。
 大正8年、『地の果てまで』が「大阪朝日新聞」の懸賞小説で一等となり、この頃知人の紹介で生涯を共に暮らすことになる門馬千代と出会う。
 大正15年、信子は下落合にバンガロー風の家を建てた。千代と散歩していて、落合の辺りを気に入ったからだといわれる。落合の家では、矢田津世子、真杉静枝、大田洋子、林芙美子ら若手女流作家が文学研究会のような会合を開いた。
 昭和10年、市谷砂土原町に家を新築し移転。この家は20年の東京大空襲で失ってしまったが、建築家吉田五十八の設計によるモダンな数奇屋建築の家であった。11年、『良人の貞操』を新聞連載し話題を呼んだ。戦時下では、内閣情報部の「ペン部隊」海軍班として漢口に赴き、以後インドネシア、シンガポール、ベトナムなどへ派遣されて現地ルポを発表した。
 戦後は、『鬼火』(第4回女流文学者賞受賞)、『安宅家の人々』などを発表、『徳川の夫人たち』はテレビ放映もされ人気を博した。また『自伝的女流文壇史』『底の抜けた柄杓(ひしゃく)』などに代表される評伝でも評価を得ている。
出典:新宿ゆかりの文学者