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湯浅 年子ゆあさ としこ

プロフィール

生年月日明治42年12月11日(1909年)
没年昭和55年2月2日(1980年)
職業等原子物理学者
出身東京都
ゆかりの地
  • 大正2年 牛込加賀町

経歴

湯浅年子は、東京上野で7人兄弟の6番目として生まれる。4歳の時に生家が類焼したため、家族で牛込加賀町へ引っ越した。大正5年に市ヶ谷尋常小学校(現新宿区立市谷小学校)に入学したが、通学する際に線路を渡っており、母がその点を危険視していたこともあって、愛日尋常小学校(現新宿区立愛日小学校)へ転校した。
 昭和6年に東京女子高等師範学校理科(東京女高師)から東京文理科大学物理学科へと進学し、キュリー夫妻の論文に感銘を受け、同15年フランスへ留学する。その頃のフランスはドイツ軍の占領下であり、研究所に外国人が入所することは困難な状況だった。しかし、研究への熱意と奮闘により入所が認められ、キュリー夫人の女婿で、コレージュ・ド・フランス原子核化学研究所のF.ジョリオ=キュリー教授に師事し、原子核研究を開始した。その後、β線のエネルギースペクトルの解析が評価され、同18年にはフランス国家学位(理学博士)を取得した。
 昭和19年連含軍のパリ解放目前に、大使館からの日本人引き上げ要請でベルリンに強制退去させられたが、ベルリンの陥落により同20年終戦直前に日本に帰国した。終戦後には母校東京女高師などで教鞭を執っていたが、占領軍の命令で原子核研究が禁止されることとなる。そのため、同24年にジョリオ教授の招聘で再びフランスへ渡り、そのままフランス国立中央化学研究所(CNRS)所属の研究員、同32年同主任研究員、同50年には同名誉研究員となった。同51年紫綬褒章を受章。
 その間、学会等で来日するが、基本的に拠点をパリに置き、若手日本人研究者を呼ぶなど日仏交流も行った。同55年パリにて死去した。

出典『日本人名大辞典』山崎美和恵『パリに生きた科学者 湯浅年子』(岩波ジュニア新書2002年)『物理学者湯浅年子の肖像』(梧桐書院 2009)お茶の水大学デジタルアーカイブス