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村山 知義むらやま ともよし

早稲田大学演劇博物館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治34年1月18日(1901年)
没年昭和52年3月22日(1977年)
職業等小説家・劇作家・デザイナー
出身東京都生まれ
ゆかりの地
  • 大正12年~昭和20年 落合村大字上落合186
  • 昭和23年頃~昭和52年 柏木4-971-7

経歴

 村山知義は東京神田に海軍軍医知二郎の長男として生まれる。中学生の時から絵画、小説に才能を現す。第一高等学校を経て東京帝国大学哲学科に入学したが、原始キリスト教を学ぶためベルリン大学へ行く。表現派、構成派の美術、演劇、音楽に魅せられ大学入学を断念して帰国。帰国後上落合の家に自分のアトリエを建て増しする。その部分が勾配していたので三角の家と呼ばれる。「村山知義、意識的構成主義的小品展覧会」をアトリエで開催。大正12年7月、柳瀬正夢、尾形亀之助らと前衛美術団体MAVO(マヴォ)をアトリエで結成。 機関紙「MAVO」を創刊するなど前衛美 術のパイオニアとして活動。築地小劇場で 舞台装置を担当してからは、演劇の美術、演出を行う。14年12月日本プロレタリア文芸連盟創立大会に出席。その後マルクス主義に接近、昭和3年全日本無産者芸術連盟(ナップ)、左翼劇場を結成。6年に日本共産党入党。治安維持法で2度投獄される。
 戦後は東京芸術座を結成。昭和24年頃からは柏木4丁目971番地7に転居。晩年までここで過した。35年、41年の2度、訪中新劇団団長として中国を訪問。
 代表的戯曲に「志村夏江」、戯曲の集大成『村山知義戯曲集』、未完に終わった 『演劇的自叙伝』がある。 妻の籌子は児童文学者。
出典:新宿ゆかりの文学者