
プロフィール
生年月日 | 明治19年8月1日(1886年) |
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没年 | 昭和26年2月19日(1951年) |
職業等 | 小説家・批評家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
宮嶋資夫(本名・信泰)は四谷伝馬町に元大垣藩士の子として生まれた。幼い頃に父が相場で失敗したことから不安定な幼少時代を送ることになった。四谷高等小学校に学び、その後砂糖問屋、三越呉服店、鉱山の現場員などとして働くなかで、貸本屋の義兄の蔵書を利用するようになり、次第に文学に目覚めた。
大正3年、大杉栄の「サンジカリズム研究会」に入り、5年に復刊された「近代思想」の発行にも携わった。七年、原町に移転したところ、隣家に文芸春秋社員の木村毅がおり、作家生活に入る動機をつくり、以後雑誌「文芸批評」「矛盾」の創刊のほか、多数の著作を著した。
代表作は『坑夫』評論集『第四階級の文学』などのほか、新宿区内居住期に著した『金』『禅に生くる』などがある。昭和5年に出家、晩年の20年を僧籍に入って過ごした。
出典:新宿ゆかりの文学者
大正3年、大杉栄の「サンジカリズム研究会」に入り、5年に復刊された「近代思想」の発行にも携わった。七年、原町に移転したところ、隣家に文芸春秋社員の木村毅がおり、作家生活に入る動機をつくり、以後雑誌「文芸批評」「矛盾」の創刊のほか、多数の著作を著した。
代表作は『坑夫』評論集『第四階級の文学』などのほか、新宿区内居住期に著した『金』『禅に生くる』などがある。昭和5年に出家、晩年の20年を僧籍に入って過ごした。