
プロフィール
生年月日 | 明治3年12月3日(1870年) |
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没年 | 大正11年12月6日(1922年) |
職業等 | 革命家、評論家 |
出身 | 熊本県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
熊本県荒尾に生まれる。本名・寅蔵。白浪庵滔天と号した。15歳の時に徳富蘇峰の大江義塾の寄宿舎に入り、自由民権運動を学ぶ。東京専門学校(現・早稲田大学)中退。明治24年兄の弥蔵とともに上海に渡航する。30年には、犬養毅の斡旋により立憲改進党の外務大臣の大隈重信に面会し、中国の革命勢力視察のため外務省機密費の支給を得て中国に渡航した。帰国後、日本に亡命し鶴巻町に居住していた孫文と知り合う。中国人留学生援助したり、孫文らと東京で革命運動団体「中国同盟会」を38年に結成するなど、中国革命運動の積極的な協力者となる。中国同盟会の機関誌「民報」の発行所は、内藤新宿の滔天の自宅だった。
40年同志と雑誌「革命評論」を発行し、辛亥革命に関して世論の喚起に努め、辛亥革命の際には南京での孫文の中華民国臨時大総統就任式に参列した。35年、自叙伝『三十三年之夢』を刊行している。
40年同志と雑誌「革命評論」を発行し、辛亥革命に関して世論の喚起に努め、辛亥革命の際には南京での孫文の中華民国臨時大総統就任式に参列した。35年、自叙伝『三十三年之夢』を刊行している。