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松居 松翁まつい しょうおう

プロフィール

生年月日明治3年2月18日(1870年)
没年昭和8年7月14日(1933年)
職業等劇作家、舞台監督(演出家)
出身宮城県生まれ
ゆかりの地
  • 明治40年8月頃~大正4年12月 大久保村大字東大久保16
  • 大正5年1月~9年頃 落合村大字下落合436
  • 大正10年頃~12年頃 落合村大字□落合604(上落合であるか下落合であるかは不詳)
  • 大正13年頃 落合町大字下落合735
  • 昭和7年頃~8年7月頃 落合町大字下落合617 ※同地(下落合2-617)にて死去

経歴

 陸前塩釜(現・宮城県)に生まれる。本名・真玄。号は松葉、大久保二八、駿河町人とも。明治20年に上京して、国民英学会に入る。この頃から歌舞伎に傾倒する。坪内逍遥に師事し、24年から第一次「早稲田文学」編集に携わり戯曲・小説を書き始めた。27年脚本「昇旭(のぼるあさひ)朝鮮太平記」を読売新聞に発表する。30年、万朝報の記者に転身する。
 初代市川左団次のために書いた『悪源太』で劇壇に注目される。この作品は、演劇改良運動の影響を受けて、劇場とは独立した作家が書いた新歌舞伎の皮切りとなった。初代左団次の死後は、明治座を引き継いだ27歳の長男・二代目左団次を助け、39年渡欧した際には呼び寄せ、ヨーロッパの演劇を学ばせるなど、俳優の指導にあたった。
 二度の外遊経験を生かして新劇風経営にたずさわり、松竹の舞台監督・顧問を務めた。訳著脚本は140余種に及ぶ。また、大正2年に河合武雄と提携して公衆劇団を興した。下落合で没す。