
プロフィール
生年月日 | 明治2年11月8日(1869年) |
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没年 | 昭和15年6月22日(1940年) |
職業等 | 英文学者・評論家・翻訳家 |
出身 | 高知県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・勝弥。高知にて土佐藩士馬場来八氏明の四男として生まれ、次兄に自由民権運動家として知られる辰猪(たつい)がいる。明治22年、明治学院に入学、26年に明治学院で同級であった島村藤村、戸川秋骨、北村透谷らによって創刊された「文学界」に同人として参加。新体詩「酒匂川」をかわきりに、次々に評論、小説などを発表した。また、この頃から寄席通いを始め、落語や義太夫に親しんだ。創作以外にも著作は多く、翻訳には、「戦争と平和」「イリアード」などがある。
孤蝶の随筆「明治の東京」には、往時のおもかげを残していた新宿の街が、震災後に発展した様子が描かれ、その変化の早さを伝えている。
新宿近時の発達は全く文字通りに駭目に値するといはざるを得ない。いはゆる馬糞の臭ひと嘲けられたのは余りに古い昔ではあるが、両側にあの薄ぎたない暖簾をかけた陰鬱な大建物の間に、ぼつぼつと見る影もない小商店の介在してゐた時分から、今の繁華の街路までの発達は殆ど一足とびの観がある。
出典:新宿ゆかりの文学者
孤蝶の随筆「明治の東京」には、往時のおもかげを残していた新宿の街が、震災後に発展した様子が描かれ、その変化の早さを伝えている。
新宿近時の発達は全く文字通りに駭目に値するといはざるを得ない。いはゆる馬糞の臭ひと嘲けられたのは余りに古い昔ではあるが、両側にあの薄ぎたない暖簾をかけた陰鬱な大建物の間に、ぼつぼつと見る影もない小商店の介在してゐた時分から、今の繁華の街路までの発達は殆ど一足とびの観がある。