
プロフィール
生年月日 | 明治12年10月1日(1879年) |
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没年 | 昭和16年8月22日(1941年) |
職業等 | 小説家・歌舞伎作家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
長谷川時雨(本名・ヤス)は、東京日本橋に明治12年、弁護士・長谷川深造の長女として生まれた。結婚、離婚を経験するなかで小説や戯曲を執筆して注目を浴び、初の女流歌舞伎作家としての道を歩んだ。『花王丸』『さくら吹雪』など、時雨の作品は舞台としても好評を得、45年には劇作家中谷徳太郎らと演劇雑誌「シバヰ」を創刊している。
新宿区内居住のきっかけは、大正5年頃、赤城下町にいた12歳年下の青年作家三上於菟吉と交際をはじめ、8年に矢来町で同棲生活を始めたことである。新居には於菟吉の仲間である作家の近松秋江らが日を置かず押しかけたという。
大正12年、親友の岡田八千代と同人誌「女人芸術」を刊行するが、関東大震災に遭い2号で終わった。その後市谷左内町で再び創刊された「女人芸術」は、既に人気作家として活躍を始めた於菟吉の資金をもとに始められた。自宅を編集所とし、表紙から編集、執筆まで女性の力によって刊行された雑誌であった。ここから、林芙美子、円地文子、矢田津世子など数多くの女流作家が巣立っている。閉塞的な時代状況の中、「女人芸術」によって女性たちに表現の場を与えた時雨の功績は大きい。
この他、大正期から書き綴った女性評伝『美人伝』や、日本女流文学者会の設立などに尽力した。
出典:新宿ゆかりの文学者
新宿区内居住のきっかけは、大正5年頃、赤城下町にいた12歳年下の青年作家三上於菟吉と交際をはじめ、8年に矢来町で同棲生活を始めたことである。新居には於菟吉の仲間である作家の近松秋江らが日を置かず押しかけたという。
大正12年、親友の岡田八千代と同人誌「女人芸術」を刊行するが、関東大震災に遭い2号で終わった。その後市谷左内町で再び創刊された「女人芸術」は、既に人気作家として活躍を始めた於菟吉の資金をもとに始められた。自宅を編集所とし、表紙から編集、執筆まで女性の力によって刊行された雑誌であった。ここから、林芙美子、円地文子、矢田津世子など数多くの女流作家が巣立っている。閉塞的な時代状況の中、「女人芸術」によって女性たちに表現の場を与えた時雨の功績は大きい。
この他、大正期から書き綴った女性評伝『美人伝』や、日本女流文学者会の設立などに尽力した。