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舟橋 聖一ふなはし せいいち

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プロフィール

生年月日明治37年12月25日(1904年)
没年昭和51年1月13日(1976年)
職業等小説家・劇作家
出身東京都生まれ
ゆかりの地
  • 大正2年8月~昭和51年1月13日 落合村大字下落合435

経歴

 舟橋聖一は東京本所横網町に生まれた。クリスマスに生まれたため聖一と名づけられたという。父了助は後の東大工科助教授、母さわ子は古河合名会社理事長近藤陸三郎の長女であった。
 病弱だった聖一は幼少期から読書や芝居に親しんだ。まだ郊外だった落合に転居したのは小学生の時、以後亡くなるまで62年間を落合で過ごしている。後に紀伊國屋書店を開業する田辺茂一とは落合の高千穂小学校時代からの盟友で、茂一の出資で「行動」「風景」などの文芸雑誌を出版している。水戸高等学校時代に戯曲を発表、東京帝国大学国文科に入学直後発表した戯曲『痼疾者(こしつしゃ)』がすぐに新橋演舞場で上演されるなど、劇作家として頭角を現した。卒業後は明治大学などで教員生活を送るかたわら、劇団蝙蝠座を結成して新興芸術派の運動に参加、吉行エイスケ・楢崎勤らと親交を結んだ。昭和8年「行動」を創刊し『ダイヴィング』を発表、当時プロレタリア文学の衰退に代わり台頭しつつあった行動主義の旗手として注目を浴びた。
 戦後は日本文芸家協会を再建、言論統制や国語問題などに取り組み、言論界の重鎮として存在感を示した。また、作家の親睦グループ「伽羅の会(きあらのかい)」も主宰した。代表作は『木石』『悉皆屋康吉(しっかいやこうきち)』『雪夫人絵図』『ある女の遠景』など。昭和27年から28年にかけて書かれた『花の生涯』は、桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼を主人公とした歴史小説で、NHKの大河ドラマ第1作として放映され、全国的な人気を得た。これが縁で、聖一の関係資料は井伊家の城下町滋賀県彦根市に寄贈された。なお、落合の住まいは現在も書斎など一部が残っており、舟橋聖一記念文篤館として聖一の希望でもあった志ある学生へ支援事業などを行っている。
出典:新宿ゆかりの文学者