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平林 たい子ひらばやし たいこ

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プロフィール

生年月日明治38年10月3日(1905年)
没年昭和47年2月17日(1972年)
職業等小説家
出身長野県生まれ
ゆかりの地
  • 大正11年7月~大正11年10月 淀橋町大字柏木
  • 大正12年7月~大正12年10月 戸塚町(農村運動社跡)
  • 大正15年8月~大正15年10月  落合町大字葛谷482
  • 昭和14年 柏木1-142(足立ハウス)

経歴

 本名・タイ。長野県諏訪市に生まれた。女学校を卒業後に上京すると、堺利彦の周辺で社会主義婦人団体「赤瀾会(せきらんかい)」に参加し、堺の娘・真柄(まがら)らと淀橋町柏木で共同生活を行った。やがてアナーキスト山本虎三と出会い同棲。関東大地震災直後、戸塚町に住んでいたたい子と虎三は戸塚警察署に予防検束され、市ヶ谷刑務所に拘留。釈放されると虎三とともに朝鮮、満州を放浪し、帰国後は「ダムダム」「MAVO」(マヴォ)などアナーキストのグループに属した。その後、同棲した飯田徳太郎との関係から林芙美子や壺井繁治、栄夫妻らを知り、大正15年に落合町葛谷に移り住んだ。徳太郎と別れ、翌昭和2年に「文芸戦線」同人の小堀甚二と結婚。同年、『嘲る』『施療室にて』でプロレタリア作家として認められた。12年、人民戦線事件で捕えられ獄中で発病、釈放されて淀橋病院などに入院し、戦争中は沈黙を続けた。戦後は療養生活に取材した『かういふ女』などで文壇に復帰。47年、信濃町の慶應大学病院にて死去した。
出典:新宿ゆかりの文学者