ホーム新宿区ゆかりの人物データベース

丹羽 文雄にわ ふみお

プロフィール

生年月日明治37年11月22日(1904年)
没年平成17年4月20日(2005年)
職業等小説家
出身三重県
ゆかりの地
  • 昭和13年3月~ 下落合2-617

経歴

 丹羽文雄は、三重県四日市にある浄土真宗寺院崇顕寺の住職の子として生まれた。父親は婿養子であったが、祖母と不倫関係にあったため、母親は地方を回る旅役者とともに家を出て行った。この一件は彼の著書『菩提樹』や『ひとわれを非情の作家と呼ぶ』に記されており、読売文学賞を受賞した『一路』(昭和41年)にも伏線が張られるなど、彼の文学モチーフになっているという。彼の作品に共通しているのは、「丹羽リアリズム」といわれる、非情なまでの客観的な描写とされている。
 大正12年、第一早稲田高等学院に入学し、後に尾崎一雄や火野葦平らと親交を深め、同人誌『街』のメンバーとなった。昭和4年に早稲田大学を卒業し、一時期故郷で仏門に入ったものの、小説『鮎』の高評価によって無断で上京して、同7年から東京で作家生活に入った。昭和8年頃から尾崎一雄が、檀一雄の借りていた上落合2-829(現、上落合3-20-15)の長屋に住み始め、二人の居住地が「なめくぢ横丁」と呼ばれるようになっていた。その周辺にはいつしか文学者が居住することとなり、彼もそこに入り浸ったという。
 昭和39年には芸術院会員、昭和52年には文化勲章を受章しているが、昭和61年頃からアルツハイマー病を患い、翌々年の『蘇生の朝』を最後の作品として表舞台から退いた。その後の闘病生活を、娘の本田桂子が手記『父・丹羽文雄介護の日々』として出版しているが、桂子が急逝してしまったため、最期は孫たちの介護を受けつつ平成17年に没した。享年101歳。
『日本大百科全書』『日本人名大辞典』イミダス編『話題のひと』佐々木久子『酒縁歳時記』(鎌倉書房1977)落合緑と自然を守る会『落合昭和地図』(2005)