
プロフィール
生年月日 | 明治3年12月18日(1870年) |
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没年 | 昭和14年7月9日(1939年) |
職業等 | 英文学者・翻訳家・随筆家 |
出身 | 熊本県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・明三。熊本県に生まれ、明治21年明治学院に入学、島崎藤村、馬場孤蝶らと親交を結び、この二人からは強く影響を受けたという。
明治26年、星野天知、北村透谷、島崎藤村、平田禿木(とくぼく)らと雑誌「文学界」を創刊、評論を中心に多数の作品を寄せ、ロマンチシズムの評論家として活躍した。
慶応義塾大学、早稲田大学、文化学院等で英語英文学を講じ、多くの弟子を育てた。代表作に『英文学講
話』などがある。また、能に関する造詣が深く関連著作も多い。昭和14年、急性腎臓炎で亡くなった。評論家の戸川エマは長女である。
新宿区内には大久保地域で何度か住居を構えている。大正2年に発表した秋骨の『そのまゝの記』は、「霜の朝の戸山の原」「春の大久保村」など、区内を描写した随筆を含む作品で、まだ武蔵野の野趣の面影が残る戸山が原の風景や、擲燭の時期の大久保の賑わいが描かれ、当時の雰囲気を伝えている。
出典:新宿ゆかりの文学者
明治26年、星野天知、北村透谷、島崎藤村、平田禿木(とくぼく)らと雑誌「文学界」を創刊、評論を中心に多数の作品を寄せ、ロマンチシズムの評論家として活躍した。
慶応義塾大学、早稲田大学、文化学院等で英語英文学を講じ、多くの弟子を育てた。代表作に『英文学講
話』などがある。また、能に関する造詣が深く関連著作も多い。昭和14年、急性腎臓炎で亡くなった。評論家の戸川エマは長女である。
新宿区内には大久保地域で何度か住居を構えている。大正2年に発表した秋骨の『そのまゝの記』は、「霜の朝の戸山の原」「春の大久保村」など、区内を描写した随筆を含む作品で、まだ武蔵野の野趣の面影が残る戸山が原の風景や、擲燭の時期の大久保の賑わいが描かれ、当時の雰囲気を伝えている。