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近松 秋江ちかまつ しゅうこう

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治9年5月4日(1876年)
没年昭和19年4月23日(1944年)
職業等小説家
出身岡山県生まれ
ゆかりの地
  • 明治38年11月~明治40年6月 牛込喜久井町20
  • 明治40年6月~明治42年4月 牛込赤城元町7
  • 明治42年6月頃 牛込喜久井町
  • 明治44年夏~明治45年8月 矢来町47
  • 大正2年10月~大正7年5月 赤城元町16(長生館)

経歴

 近松秋江(本名・徳田浩司)は、岡山県に生まれた。明治34年に東京専門学校(現・早稲田大学)を卒業、同級には生涯の友となった正宗白鳥がいた。少年時代より文学を志した秋江は、在学中より島村抱月の紹介で「読売新聞」の月曜附録に小説の月評などを掲載、卒業後は博文館や中央公論社などに入社したが、長くは続かなかった。
 明治36年赤城神社にあった貸席清風亭で働いていた大貫ますと同棲し、38年11月、喜久井町に移った。40年6月赤城元町に移るとそこでますに小間物屋を開かせたが閉店、一時関口台に転居し、42年9月に牛込喜久井町に居を構えた。秋江の代表作である『別れたる妻に送る手紙』は、この頃に発表された作品である。大正元年8月関西放浪の旅に出、2年に帰京、赤城神社境内の清風亭跡に出来た長生館に下宿する。『疑惑』(大正2年)、『黒髪』(大正11年)を発表し、私小説を中心に作品を著した。
 大正11年に猪瀬イチと結婚すると生活は落ち着き、『子の愛の為に』『第二の出産』など、父親の立場から描いた作品を発表した。また、小説のほかにも、『文壇無駄話』『文壇三十年』など文壇への批評的、回想的著書がある。
 昭和19年4月、67歳で死去。葬儀委員長は正宗白鳥がつとめた。
出典:新宿ゆかりの文学者