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田山 花袋たやま かたい

田山花袋記念文学館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治4年12月13日(1872年)
没年昭和5年5月13日(1930年)
職業等小説家
出身群馬県生まれ
ゆかりの地
  • 明治19年7月~明治22年2月 市谷富久町120
  • 明治22年2月~明治22年12月 牛込納戸町12
  • 明治22年12月~明治26年9月 市谷甲良町12
  • 明治26年9月~明治29年1月 四谷内藤町1
  • 明治29年1月~明治35年6月 牛込喜久井町20
  • 明治35年6月~明治35年9月 牛込納戸町40
  • 明治35年9月~明治36年10月 牛込原町3-68
  • 明治36年12月~明治37年5月 牛込若松町137
  • 明治37年5月頃 市谷薬王寺門前町55
  • 明治37年11月~明治38年6月
  • 牛込弁天町42
  • 牛込北山伏町36

経歴

 田山花袋(本名・録弥)は群馬県に生まれた。明治19年に一家をあげて上京、富久町に住んだのを始めとして、約20年の間に牛込を中心に区内で10回以上も転居をしている。
 10代の頃より漢詩文の投稿をしていた花袋は、明治24年小説第一作となる『瓜畑』を「千紫万紅」の創刊号に発表する。横寺町の尾崎紅葉を訪ねたのもこの頃で、その時のやりとりが花袋の回想録『東京の三十年』に書かれている。以後、「読売新聞」や「明治文庫」など硯友社系のジャーナリズムで活躍、また紀行文作家としても頭角をあらわした。
 明治32年、大橋乙羽の紹介で博文館に入社、39年には花袋の編集で「文章世界」が刊行された。花袋自身の文学活動も、この「文章世界」とともにより本格的なものになり、同誌は自然主義文学の拠点となった。明治39年の暮に、渋谷区代々木の新居に移り、翌年には文壇での地位を確立することになった出世作『蒲団』が発表され自然主義作家としての地位を築いた。
出典:新宿ゆかりの文学者