
プロフィール
生年月日 | 明治4年12月13日(1872年) |
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没年 | 昭和5年5月13日(1930年) |
職業等 | 小説家 |
出身 | 群馬県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
田山花袋(本名・録弥)は群馬県に生まれた。明治19年に一家をあげて上京、富久町に住んだのを始めとして、約20年の間に牛込を中心に区内で10回以上も転居をしている。
10代の頃より漢詩文の投稿をしていた花袋は、明治24年小説第一作となる『瓜畑』を「千紫万紅」の創刊号に発表する。横寺町の尾崎紅葉を訪ねたのもこの頃で、その時のやりとりが花袋の回想録『東京の三十年』に書かれている。以後、「読売新聞」や「明治文庫」など硯友社系のジャーナリズムで活躍、また紀行文作家としても頭角をあらわした。
明治32年、大橋乙羽の紹介で博文館に入社、39年には花袋の編集で「文章世界」が刊行された。花袋自身の文学活動も、この「文章世界」とともにより本格的なものになり、同誌は自然主義文学の拠点となった。明治39年の暮に、渋谷区代々木の新居に移り、翌年には文壇での地位を確立することになった出世作『蒲団』が発表され自然主義作家としての地位を築いた。
出典:新宿ゆかりの文学者
10代の頃より漢詩文の投稿をしていた花袋は、明治24年小説第一作となる『瓜畑』を「千紫万紅」の創刊号に発表する。横寺町の尾崎紅葉を訪ねたのもこの頃で、その時のやりとりが花袋の回想録『東京の三十年』に書かれている。以後、「読売新聞」や「明治文庫」など硯友社系のジャーナリズムで活躍、また紀行文作家としても頭角をあらわした。
明治32年、大橋乙羽の紹介で博文館に入社、39年には花袋の編集で「文章世界」が刊行された。花袋自身の文学活動も、この「文章世界」とともにより本格的なものになり、同誌は自然主義文学の拠点となった。明治39年の暮に、渋谷区代々木の新居に移り、翌年には文壇での地位を確立することになった出世作『蒲団』が発表され自然主義作家としての地位を築いた。