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高浜 虚子たかはま きょし

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プロフィール

生年月日明治7年2月22日(1874年)
没年昭和34年4月8日(1959年)
職業等俳人、小説家
出身愛媛県生まれ
ゆかりの地
  • 昭和28年8月~同年12月 戸塚村大字下戸塚434【北田方】

経歴

【氏名】 【よみ】 【生年】(年)
【没年】(年)
【分野】【出身】【記事】 本名・清。愛媛県松山市に生まれる。伊予尋常中学の1歳年上の河東碧梧桐を介して正岡子規の知遇を得る。正岡子規より、本名・清にちなんで雅号「虚子」は命名された。明治30年、正岡子規の友人柳原極堂とともに松山で俳誌「ほとゝぎす」を創刊、上京して「ホトトギス」として、和歌・散文なども掲載するようになり、俳誌「ホトトギス」全盛期を築いた。夏目漱石は『吾輩は猫である』を38年より連載している。41年「国民新聞」の文芸部長となり写生文をつぎつぎに発表するようになり俳壇から離れ、「ホトトギス」の編集を嶋田青峰に一任する。五七五調の形にとらわれない新傾向俳句を主導する碧梧桐に対抗して「守旧派」を宣言し、大正2年俳壇に復帰した。
 句集に『五百句』『虚子秀句』、写生文に『鶏頭』『虹』がある。「ホトトギス」からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしなどを輩出している。なお、ホトトギス発行所は大正2年より一時期、船河原町にあった。