
プロフィール
生年月日 | 明治9年9月12日(1876年) |
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没年 | 昭和30年3月2日(1955年) |
職業等 | 随筆家・実業家 |
出身 | 宮城県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
相馬黒光(本名・良(りょう))は、奥州仙台藩の士族・星喜四郎の三女として宮城県に生まれた。小学校高等科のとき仙台神学校の島貫兵太夫の知遇を得、その師・押川方義から洗礼を受けた。宮城女学校、フェリス女学校、明治女学院に学んだ。黒光という号は、あまりにも才気煥発なため、少しは光を隠すようにと、明治女学院校長巌本善治が付けたものである。22歳のとき島貫兵太夫の勧めで、長野県穂高村出身の相馬愛蔵と結婚。明治34年、愛蔵と共に本郷東大前のパン屋中村屋を買い取り、パン屋を始めた。40年、当時発展しつつあった新宿駅東口前に中村屋を移転、42年に現在地に移った。中村屋は誠実な経営と、クリームパン、中華饅頭、インドカリーなど新商品を販売することで大きく発展した。
同時に、中村屋には黒光・愛蔵を親って多くの芸術家が集まり、中村屋サロンと呼ばれた。集まった芸術家は、彫刻家の荻原碌山、中原悌二郎、画家の中村彝(つね)、鶴田吾郎、劇作家の秋田雨雀などがいる。また、ロシアの盲目詩人エロシェンコ、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースを匿ったこともよく知られている。そのほか静坐法の岡田虎二郎、美術史家の會津八一など多くの文化人と交友した。黒光の随筆集『黙移』は、少女時代からの回想であるが、北村透谷、島崎藤村、星野天知、国木田独歩などの青年時代の様子を知る貴重な明治文学の資料となっている。そのほかに遺稿集『滴水録』などの著書がある。なお黒光と中村屋に集まった芸術家たちのことは、臼井吉見の長編小説『安曇野』に詳しい。
出典:新宿ゆかりの文学者
同時に、中村屋には黒光・愛蔵を親って多くの芸術家が集まり、中村屋サロンと呼ばれた。集まった芸術家は、彫刻家の荻原碌山、中原悌二郎、画家の中村彝(つね)、鶴田吾郎、劇作家の秋田雨雀などがいる。また、ロシアの盲目詩人エロシェンコ、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースを匿ったこともよく知られている。そのほか静坐法の岡田虎二郎、美術史家の會津八一など多くの文化人と交友した。黒光の随筆集『黙移』は、少女時代からの回想であるが、北村透谷、島崎藤村、星野天知、国木田独歩などの青年時代の様子を知る貴重な明治文学の資料となっている。そのほかに遺稿集『滴水録』などの著書がある。なお黒光と中村屋に集まった芸術家たちのことは、臼井吉見の長編小説『安曇野』に詳しい。