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島崎 藤村しまざき とうそん

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プロフィール

生年月日明治5年2月17日(1872年)
没年昭和18年8月22日(1943年)
職業等小説家・詩人
出身長野県生まれ
ゆかりの地
  • 明治38年5月~明治39年9月 大久保村大字西大久保405

経歴

 島崎藤村は長野県木曾郡馬籠に生まれた。生家は木曾街道の本陣・問屋・庄屋をつとめる旧家で、その17代目にあたる父正樹は、明治維新により世襲職や家産を失い、失意のうちにその生涯を閉じた。藤村は明治14年に上京し、漢学のほか早くから英語も学び、やがて明治学院普通学部本科に入学した。ここで藤村はキリスト教の感化を受け、間もなく高輪台町教会で受洗している。24年卒業すると明治女学校に奉職、この頃より習作を発表し、北村透谷らの「文学界」創刊にも加わった。 
 明治29年、仙台の東北学院に赴任した藤村は、この地で第一詩集『若菜集』を発表。32年には小諸義塾の教師となり、結婚して一家を成している。この詩から散文に転じた藤村は、長編小説『破戒』の執筆に取り掛かり、38年5月『破戒』の完成・出版を期して妻子とともに上京、西大久保に落ち着いた。家は明治学院の学友であった画家・三宅克巳が世話したもので植木屋の家作であった。間もなく『破戒』を脱稿し、翌年自費出版されたこの作品は夏目漱石も「明治の最初の小説」と賞賛したように高い評価を得、藤村の名声を確固とした。しかし、西大久保での1年余りの生活は極貧をきわめ、幼い3人の娘を次々に失い、栄養失調により妻も視力を失うなど、藤村にとっては失うものも多かった。
出典:新宿ゆかりの文学者