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佐多 稲子さた いねこ

新宿歴史博物館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治37年6月1日(1904年)
没年平成10年10月12日(1998年)
職業等小説家
出身長崎県生まれ
ゆかりの地
  • 昭和8年  戸塚4-593
  • 昭和27年  柏木4-971

経歴

 佐多稲子(本名・イネ)は長崎県に生まれた。幼くして母を失い、父も思うように仕事が見つからない中で家庭が困窮、小学校5年の途中で退学することとなった。稲子は幼い頃から働きに出、キャラメル工場での仕事をはじめとして、料亭でのまかない、丸善の店員など様々な職業を転々とした。
 結婚、離婚を経て「驢馬(ろば)」の同人であった中野重治、堀辰雄らと知り合い、やはり「驢馬」同人の窪川鶴次郎と結婚した。大正3年、中野重治の勧めで、幼い頃の体験を基にデビュー作『キャラメル工場から』を発表、プロレタリア作家として文壇に登場した。翌年、日本プロレタリア作家同盟に所属、また昭和7年4月には日本共産党へ入党したが、9年に同盟が解散、転向文学の時期に入り、夫婦間にも亀裂が生じてそのいきさつを小説『くれなゐ』に描いた。
 戦後は宮本百合子らと婦人民主クラブの創設などに尽力したが、日本共産党との関係には苦しみ、除名と再入党を繰り返し、最終的には除名された。さらに、33年より松川事件対策協議会副会長となるなど、社会的な発言も続けた。昭和27年から柏木に住み、晩年をすごした。『時に佇つ(ときにたつ)』『夏の栞』などはここで執筆された。また戦後発表された『私の東京地図』には、戦争責任追及の渦中で自らの過去を自己検証するように書いた名作で、区内の風景も描かれている。
出典:新宿ゆかりの文学者