
プロフィール
生年月日 | 明治21年6月6日(1888年) |
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没年 | 昭和56年8月1日(1981年) |
職業等 | 評論家 |
出身 | 長崎県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・イチ。長崎で生まれ育ち、長崎活水女学校を経て、女子英学塾に入学、上京。在学中に女性解放運動の結社青鞜の社員となり、翻訳等発表。この時の筆名は榊纓(さかきおう)。青鞜脱退を条件に卒業し、弘前高女の教員となったが、青鞜に参加していたことが分かって免職となった。その後、東京日日新聞の婦人記者として1年ほど社会面、婦人問題を担当する傍ら、アナーキスティックな小説や評論を発表した。大正5年に大杉栄との恋愛問題で傷害事件(「日陰茶屋事件」)を起こし2年間服役した。入獄するまでの間に秋田雨雀の友情に支えられながら、この事件の赤裸々な告白と反省を『引かれものの唄』と題し発表。出獄後、プロレタリア運動に入るものの、後に女性解放運動に挺身(ていしん)。上落合に暮らした昭和初期には、「女人芸術」に参加した後、「婦人文芸」を創刊した。戦後は衆議院議員として活躍し、売春防止法の実現などに尽力した。
出典:新宿ゆかりの文学者