
プロフィール
生年月日 | 明治17年11月4日(1884年) |
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没年 | 昭和25年11月26日(1950年) |
職業等 | 児童文学者・演劇評論家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
東京銀座生まれ。早稲田大学英文科で島村抱月の影響を受け、坪内逍遙主催の文芸協会に参加。読売新聞文芸部記者を経て明治44年、逍遙の推薦により冨山房に入社。翌年、中谷徳太郎、長谷川時雨、秋田雨雀らと演劇雑誌「シバヰ」を創刊し、大正2年には早大講師となり近代劇を講じる一方、抱月の芸術座に幹事として参加。抱月の急死、松井須磨子の自殺により芸術座が解体すると劇場との関係を絶つが、『近代劇十二講』『シュニッツレル選集』などで演劇界に足跡を残した。
一方、児童文学に関心を寄せ、友人の画家岡本帰一の挿絵による『日本童話宝玉集』などで児童文学の質的向上に貢献した。その後、『冨山房百科文庫』の企画、刊行を機に冨山房を退社し、文学、演劇、児童文学の分野で著述活動を続けた。新宿には明治末から大正10年頃まで、牛込、四谷の各地に在住し、『世界童話宝玉集』や、新劇運動に大きな影響を与えた『近代劇選集』などがこの時期書かれた。
出典:新宿ゆかりの文学者
一方、児童文学に関心を寄せ、友人の画家岡本帰一の挿絵による『日本童話宝玉集』などで児童文学の質的向上に貢献した。その後、『冨山房百科文庫』の企画、刊行を機に冨山房を退社し、文学、演劇、児童文学の分野で著述活動を続けた。新宿には明治末から大正10年頃まで、牛込、四谷の各地に在住し、『世界童話宝玉集』や、新劇運動に大きな影響を与えた『近代劇選集』などがこの時期書かれた。