
プロフィール
生年月日 | 明治9年11月30日(1876年) |
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没年 | 昭和28年3月30日(1953年) |
職業等 | 歌人 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・雄太郎。東京神田生まれ。幼少時より病弱であったが、父母より漢文、歌を習い、少年雑誌に投稿を始める。17歳のとき肋膜炎のため、尋常中学校を中退する。文芸好きであった外祖父の激励もあり、国文学者落合直文を訪ねて結社「浅香社」の社員となり、新派和歌運動に連なった。以後処女歌集『片われ月』を刊行して歌壇に認められる。温雅で清新な調べ、自然への愛慕の情を詠んだ作が多い。文芸雑誌「新潮」が発行されると歌欄を担当し、永く続く新潮社との関係が結ばれた。
新宿との縁は、明治40年に家庭を持ち、大久保百人町に住んだことが始まり。以降、市谷甲良町、矢来町と転居しながらも、延べ約15年間新宿に居住した。この間、歌集『覚めたる歌』『山河』『草の上』『星空』『静まれる樹』を新潮社より刊行。また、短歌研究会機関紙「光」も創刊。時代と共に歌風と行動に変化を見せながらも、和歌の普及と後進育成に努めた。
出典:新宿ゆかりの文学者
新宿との縁は、明治40年に家庭を持ち、大久保百人町に住んだことが始まり。以降、市谷甲良町、矢来町と転居しながらも、延べ約15年間新宿に居住した。この間、歌集『覚めたる歌』『山河』『草の上』『星空』『静まれる樹』を新潮社より刊行。また、短歌研究会機関紙「光」も創刊。時代と共に歌風と行動に変化を見せながらも、和歌の普及と後進育成に努めた。