
プロフィール
生年月日 | 明治18年1月10日(1885年) |
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没年 | 昭和16年8月5日(1941年) |
職業等 | 小説家 |
出身 | 石川県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
加能作次郎は石川県羽咋郡西海村(現・志賀町)で漁業を営む父のもとに生まれ、生後間もなく母と死別し、苦学の末に上京した。明治40年に早稲田大学予科に入学すると、在学中片上伸の推薦で「ホトトギス」に外国作家の評伝を掲載したほか、「恭三の父」「厄年」などを発表した。卒業後、大正2年に博文館に入社し「文章世界」の記者となると同時に、田山花袋に師事するようになる。
博文館で編集主任をつとめる傍ら作品を発表するものの、自然主義退潮の流れに苦しんだ。大正7年、読売新聞に連載した自伝的小説『世の中へ』で、文壇での評価を得、以後意欲的に創作活動を行った。作次郎の作品は自身や周囲を題材とした私小説が多く、『霰の音』『祖母』『義歯を盗まれた話』などがある。
作次郎と牛込とのつながりは深く、学生時代より牛込界隈に住んだ。『大東京繁昌記』山手編(昭和2年)に収められた「早稲田神楽坂」では、「今や牛込は、私にとっては第二の故郷も同様であり、又どうやらこのまゝ永住の地になってしまうらしい」と述べ、その愛着の深さを窺わせる。この作品では神楽坂界隈の震災後の賑わいぶりなどが詳細に書かれており、当時の様子を伝えている。
昭和15年に発表した『乳の匂ひ』が晩年の代表作であり、没後に同名の短編集が遺著のような形で刊行されている。
出典:新宿ゆかりの文学者
博文館で編集主任をつとめる傍ら作品を発表するものの、自然主義退潮の流れに苦しんだ。大正7年、読売新聞に連載した自伝的小説『世の中へ』で、文壇での評価を得、以後意欲的に創作活動を行った。作次郎の作品は自身や周囲を題材とした私小説が多く、『霰の音』『祖母』『義歯を盗まれた話』などがある。
作次郎と牛込とのつながりは深く、学生時代より牛込界隈に住んだ。『大東京繁昌記』山手編(昭和2年)に収められた「早稲田神楽坂」では、「今や牛込は、私にとっては第二の故郷も同様であり、又どうやらこのまゝ永住の地になってしまうらしい」と述べ、その愛着の深さを窺わせる。この作品では神楽坂界隈の震災後の賑わいぶりなどが詳細に書かれており、当時の様子を伝えている。
昭和15年に発表した『乳の匂ひ』が晩年の代表作であり、没後に同名の短編集が遺著のような形で刊行されている。