ホーム新宿区ゆかりの人物データベース

北原 白秋きたはら はくしゅう

県立神奈川近代文学館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治18年1月25日(1885年)
没年昭和17年11月2日(1942年)
職業等詩人・歌人
出身福岡県生まれ
ゆかりの地
  • 明治37年9月 下戸塚町41清致館(若山牧水と同宿)
  • 明治38年3月 高田馬場
  • 明治39年晩夏 戸塚村大字源兵衛
  • 明治40年~明治41年10月 牛込北山伏町
  • 明治41年10月~明治42年10月 牛込神楽町2-22
  • 明治43年2月~明治43年9月 新小川町3-34

経歴

 北原白秋(本名・隆吉)は福岡県柳川に生まれた。生家は海産物問屋や酒造業を営み九州一円に知られた旧家であった。明治30年、伝習館中学に入学し、18歳頃より白秋の号で詩や短歌を投稿、早くから詩才を認められた。37年、上京して早稲田大学英文科予科に入学、同級の若山牧水と清致館で暮らしたのはこの時である。しかし間もなく中退、与謝野鉄幹の新詩社に入り「明星」に詩歌を発表、新進の詩人として脚光を浴びた。
 早稲田大学入学時より約6年間、白秋は断続的に戸塚・牛込に居住したが、北山伏町時代には精力的に創作活動を行い、その多くは明治42年に刊行された第1詩集『邪宗門』に収められた。また、神楽坂時代には木下杢太郎・吉井勇・長田秀雄ら青年詩人と、石井柏亭・森田恒友ら青年画家によって「パンの会」を起し、隅田川をセーヌ川に見立てた集会などを開いた。この会は、後に俳優や音楽家も巻き込み、文学・芸術の耽美主義運動を巻き起こしたことでも知られている。なお神楽坂の家は、ちょうど物理学校(現・東京理科大学)の裏手にあたることから、「物理学校裏」という詩も残している。白秋宅を訪れた友人・石川啄木の日記(明治41年10月29日)には、「2階の書斎の前に物理学校の白い建物。瓦斯がついて窓という窓が蒼白い。それはそれは気持ちのよい色だ。そして物理の講義の声が、琴や三味線と共に聞える。」と、その印象が書かれている。また短歌「もののあはれ」63首も詠んでおり、歌作にも力を入れていた。
出典:新宿ゆかりの文学者