
プロフィール
生年月日 | 明治23年11月2日(1890年) |
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没年 | 昭和29年3月5日(1954年) |
職業等 | 劇作家・小説家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
岸田国士は四谷右京町に生まれ、四谷尋常小学校に入学、9歳で名古屋に転校するまで四谷に住んだ。この頃のことは、岸田の「『追憶』による追憶」に書かれている。父が軍人であったため、中央幼年学校本科、陸軍士官学校と進学、大正元年に卒業すると、久留米の連隊に所属した。しかし、もともと文学への興味は強く、幼年学校時代から級友たちと回覧雑誌のグループをつくり、短歌や小品を投稿していた。
大正3年、肺尖カタルを口実に休職届けを出して上京、6年9月に、東京帝国大学仏文科選科に入学し、フランス文学研究を志して渡仏、演劇を学ぶ。父の訃報により帰国、13年には若松町に転居し、『古い玩具』『チロルの秋』を発表、この2つの作品によって新進作家としての足場を築いた。
昭和3年「悲劇喜劇」を創刊、翻訳劇の築地小劇場などに抗して新たな演劇美の確立に力を注ぐほか、多くの劇作家や俳優の養成に努めた。また12年には久保田万太郎らと文学座を結成した。25年3月、信濃町10に間口6間、奥行3間の舞台つきチュードル風の文学座アトリエが落成、設計は伊藤義次によるもので、一部改修が加えられ現在も文学座の活動の場として継承されている。
昭和29年、ゴーリキー「どん底」の舞台稽古中に倒れ亡くなった。代表作に『牛山ホテル』『紙風船』『暖流』などの他、『双面神』などの長編小説がある。長女は作家・岸田衿子、次女は女優の岸田今日子である。
出典:新宿ゆかりの文学者
大正3年、肺尖カタルを口実に休職届けを出して上京、6年9月に、東京帝国大学仏文科選科に入学し、フランス文学研究を志して渡仏、演劇を学ぶ。父の訃報により帰国、13年には若松町に転居し、『古い玩具』『チロルの秋』を発表、この2つの作品によって新進作家としての足場を築いた。
昭和3年「悲劇喜劇」を創刊、翻訳劇の築地小劇場などに抗して新たな演劇美の確立に力を注ぐほか、多くの劇作家や俳優の養成に努めた。また12年には久保田万太郎らと文学座を結成した。25年3月、信濃町10に間口6間、奥行3間の舞台つきチュードル風の文学座アトリエが落成、設計は伊藤義次によるもので、一部改修が加えられ現在も文学座の活動の場として継承されている。
昭和29年、ゴーリキー「どん底」の舞台稽古中に倒れ亡くなった。代表作に『牛山ホテル』『紙風船』『暖流』などの他、『双面神』などの長編小説がある。長女は作家・岸田衿子、次女は女優の岸田今日子である。