
プロフィール
生年月日 | 明治28年12月25日(1895年) |
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没年 | 昭和50年6月30日(1975年) |
職業等 | 詩人 |
出身 | 愛知県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・安和(保和)。愛知県生まれ。金子は10代から初期の代表作『こがね蟲』出版までを牛込で過ごした。新小川町に暮らした日々は、養父に連れられ吉原で最初の放蕩の記憶となる体験や、漢籍に耽溺し遊郭通いなどで落第までした暁星中学時代、早稲田大学英文科・東京美術学校日本画科・慶応義塾大学英文科の入退学といった青春期にあたる。肺尖カタルを患い休学したことが慶大退学の一因となったが、この病臥の折に詩との「くされ縁」を結び、赤城元町で療養しながら、処女詩集『赤土の家』を刊行。昭和3年から7年まで約5年間、妻森三千代とアジア・欧州を放浪し、著書『マレー蘭印紀行』にまとめた。帰国後およそ3年間、詩集『鮫』を発表・刊行するまでの雌伏期を新宿2丁目太宗寺付近や余丁町で送った。戦中は反戦詩を創作し続け、戦後は反逆的批評精神に基いた詩集『人間の悲劇』を発表し読売文学賞を受賞。晩年に至っても海外放浪を回顧した散文を発表し、驚異的な創作力で注目を集めた。
出典:新宿ゆかりの文学者