
プロフィール
生年月日 | 明治35年1月26日(1902年) |
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没年 | 平成3年1月25日(1991年) |
職業等 | 評論家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
東京麻布に生まれる。東京府立第一中学校時代から、小説や評論を発表。また友人から「ロシア文学」とあだ名されるほどロシア文学に傾倒していた。東京外国語学校に進学し、ロシア語を学ぶ。卒業後、一年間軍隊に入隊した。大正13年に除隊後、「都新聞」特派員の名目でソビエト連邦へ旅行し、一年半にわたって同紙や雑誌「新潮」に記事を送り新進の文芸評論家として頭角をあらわした。
帰国後、プロレタリア芸術連盟に加入し、『文芸戦線』編集同人となり、「現代日本文学と無産階級」をはじめとした文学評論を発表して理論家として注目を浴びる。惟人は分裂していたプロレタリア文学運動の連携を呼びかけ、昭和3年に全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成された雑誌『戦旗』の編集委員になった。明快な理論とバランスの取れた批評で、マルクス主義的文芸批評家の代表的存在となった。小林多喜二や徳永直らの作品を掲載し、新しい書き手の成長を促した。
また、この年、論文「プロレタリア・レアリズムへの道」を発表し、プロレタリア文学の理論化に貢献した。7年プロレタリア文学弾圧のなかで検挙、戦後は宮本百合子らと新日本文学会を設立した。ロシア文学の訳書も多い。
帰国後、プロレタリア芸術連盟に加入し、『文芸戦線』編集同人となり、「現代日本文学と無産階級」をはじめとした文学評論を発表して理論家として注目を浴びる。惟人は分裂していたプロレタリア文学運動の連携を呼びかけ、昭和3年に全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成された雑誌『戦旗』の編集委員になった。明快な理論とバランスの取れた批評で、マルクス主義的文芸批評家の代表的存在となった。小林多喜二や徳永直らの作品を掲載し、新しい書き手の成長を促した。
また、この年、論文「プロレタリア・レアリズムへの道」を発表し、プロレタリア文学の理論化に貢献した。7年プロレタリア文学弾圧のなかで検挙、戦後は宮本百合子らと新日本文学会を設立した。ロシア文学の訳書も多い。