
プロフィール
生年月日 | 明治3年9月18日(1870年) |
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没年 | 昭和6年7月18日(1931年) |
職業等 | 評論家、翻訳家 |
出身 | 愛媛県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
別号は、散木、鳴潮。愛媛県宇和島市に生まれる。明治学院を経て、帝国大学文科大学史学選科課程に入学、同学哲学選科に転じて卒業した。明治学院時代の同級生に島崎藤村・戸川秋骨、帝大時代の同級生に西田幾多郎がいる。陸軍士官学校英語教授職等を務める。語学に抜群の才能を発揮したが、異論は容赦なく論破したという。このため「キムタカ」の異名で論壇から恐れられ、次第に学界から敬遠されるようになる。明治30年、井上哲次郎、高山樗牛らとともに大日本協会を組織、機関誌『日本主義』を創刊して日本主義を提唱する。この時期、バイロンを日本に紹介した。
34年には与謝野鉄幹・晶子の結婚の媒酌人をつとめている。36年から44年にかけて『プラトン全集』の個人完訳を達成した。44年『世界的研究に基づける日本太古史』を発表。日本語とギリシア語・ラテン語、日本神話とギリシア・ローマ神話や北欧神話に共通点が多いことを根拠に、日本神話は全世界の神話の起源であり、日本語は他のすべての言語の起源であるとする「新史学」を唱える。
34年には与謝野鉄幹・晶子の結婚の媒酌人をつとめている。36年から44年にかけて『プラトン全集』の個人完訳を達成した。44年『世界的研究に基づける日本太古史』を発表。日本語とギリシア語・ラテン語、日本神話とギリシア・ローマ神話や北欧神話に共通点が多いことを根拠に、日本神話は全世界の神話の起源であり、日本語は他のすべての言語の起源であるとする「新史学」を唱える。