
プロフィール
生年月日 | 明治20年2月28日(1887年) |
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没年 | 昭和26年1月25日(1951年) |
職業等 | 詩人、評論家 |
出身 | 和歌山県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
和歌山に生まれる。明治学院神学部を卒業後、芝教会で伝道にたずさわる。
大正4年に西村伊作の援助で『科学と文芸』を創刊し、福田正夫や百田宗治の詩・詩論を載せて民衆的傾向を濃厚にし民衆詩派の拠点となった。大正6年に刊行した評論集『土の叫び地の囁き』は発禁処分になった。大正7年福田正夫の詩誌『民衆』に参加した。『トルストイ全集』などを刊行するなど、トルストイの影響を受け、キリスト教的ヒューマニズムに基づいた民衆芸術論を主張し、大正8年『民衆芸術論』を刊行。アナキズムに傾倒し、自由人連盟などに参加する。昭和期に入り、半農生活を営みながら農本主義を説くが、次第に天皇中心主義に傾斜した。
大正4年に西村伊作の援助で『科学と文芸』を創刊し、福田正夫や百田宗治の詩・詩論を載せて民衆的傾向を濃厚にし民衆詩派の拠点となった。大正6年に刊行した評論集『土の叫び地の囁き』は発禁処分になった。大正7年福田正夫の詩誌『民衆』に参加した。『トルストイ全集』などを刊行するなど、トルストイの影響を受け、キリスト教的ヒューマニズムに基づいた民衆芸術論を主張し、大正8年『民衆芸術論』を刊行。アナキズムに傾倒し、自由人連盟などに参加する。昭和期に入り、半農生活を営みながら農本主義を説くが、次第に天皇中心主義に傾斜した。