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内田 魯庵うちだ ろあん

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プロフィール

生年月日慶応4年閏4月5日(1868年)
没年昭和4年6月29日(1929年)
職業等評論家・翻訳家・小説家
出身東京都生まれ
ゆかりの地
  • 明治34年 牛込東五軒町54
  • 明治35年 市谷砂土原町3-8
  • 明治36年 新小川町3-6
  • 明治37年~明治40年 市谷砂土原町3-8
  • 明治41年~大正2年 市谷砂土原町2-6
  • 大正2年  淀橋町大字角筈607
  • 大正3年~大正14年 淀橋町大字柏木371

経歴

 本名・貢(みつぎ)。慶応4年、旧幕臣の子として江戸下谷(現・台東区)に生まれた。立教学校(現・立教大学)、東京専門学校(現・早稲田大学)などに入学するがいずれも中退、明治21年「女学雑誌」に山田美妙『夏木立』の評論「山田美妙大人(うし)の小説」が掲載されて文壇に登場、以後文芸評論を中心に活躍。22年、ドストエフスキー『罪と罰』を読んで小説観が一変。遊戯的、功利的文学に否定的立場を取り、新進批評家として活躍した。代表作に『文学者となる法』『思ひ出す人々』などがある。また、トルストイ、デュマ、ゾラ、ワイルドなど外国文学を次々に翻訳して同時代の読者に紹介したことでも知られる。明治34年、書籍部門の顧問として丸善に入社、「学の燈」(後、「学燈」)の編集を任された。
 新宿区内には丸善に入社した頃から亡くなる直前まで、約30年居住した。最も長く住んだのは柏木で、大正3年から14年まで居住した。昭和4年6月、代々木の仮宅で61歳で死去。

※付記:大正14年~昭和4年には大久保大字百人町384に居住
出典:新宿ゆかりの文学者