
プロフィール
生年月日 | 明治6年1月20日(1873年) |
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没年 | 大正9年5月9日(1920年) |
職業等 | 詩人・小説家・評論家・劇作家 |
出身 | 兵庫県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・美衛(よしえ)。兵庫県津名郡(現・洲本市)に生まれた。神学、英語学などに傾倒し、明治学院、東北学院などに学んだが、いずれも中途退学した。その後、教師として教壇に立つ傍らで詩作に励み、明治36年には相馬御風、前田林外らと東京純文社をおこし、文学美術雑誌「白百合」を創刊した。42年、『耽溺』を発表し、これによって自然主義作家としての地位を固めた。しかしながら生活の安定は得られず、突如缶詰事業を思い立ち樺太へ渡ったが、結局失敗に終わった。
帰京後の明治42年12月に、西大久保(現・大久保2丁目)に居住した。この頃は青鞜社同人で婦人運動家の遠藤清子と同棲生活に入った時期で、「変者同士の同棲、霊が勝つか、肉が勝つか」とマスコミに騒がれ注目を浴びた。
明治43年『放浪』を発表、持論の「一元描写」の方法によって以後「泡鳴五部作」を完成させた。亡くなる直前まで執筆活動は続き、大正9年に腸チフスの疑いで開腹手術を受け、そのまま亡くなった。
出典:新宿ゆかりの文学者
帰京後の明治42年12月に、西大久保(現・大久保2丁目)に居住した。この頃は青鞜社同人で婦人運動家の遠藤清子と同棲生活に入った時期で、「変者同士の同棲、霊が勝つか、肉が勝つか」とマスコミに騒がれ注目を浴びた。
明治43年『放浪』を発表、持論の「一元描写」の方法によって以後「泡鳴五部作」を完成させた。亡くなる直前まで執筆活動は続き、大正9年に腸チフスの疑いで開腹手術を受け、そのまま亡くなった。