
プロフィール
生年月日 | 明治15年4月7日(1882年) |
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没年 | 昭和36年5月11日(1961年) |
職業等 | 小説家・児童文学者 |
出身 | 新潟県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・健作。新潟県生まれ。雅号の未明は正しくは「びめい」と読む。15歳の頃より少年向け雑誌に漢詩、俳句、新体詩を投稿、たびたび掲載され、文芸部でも活躍した。19歳のときに上京し、牛込原町に下宿する。東京専門学校(現・早稲田大学)を受験、合格。在学期間中は牛込の地で過ごし、坪内逍遥に認められ短編小説「霰に霙(あられにみぞれ)」を発表。明治末期の新ロマンチシズム文学の新人として注目された。卒業後も若松町、早稲田南町、矢来町、天神町と新宿区内に延べ約20年間居住した。作品としては、唯一の長編「魯純な猫」を除いて主として短編小説を書き、処女短編集『愁人』をはじめ、『緑髪』『物言はぬ顔』『白痴』などの短編集のほか、処女童話集『赤い船』を世に送り出した。また、大正期に入ってからは、次第に社会主義的な傾向を強め、労働文学雑誌「黒煙」を主宰する。その傍らで雑誌「赤い鳥」に精力的に作品を発表。『赤い蝋燭と人魚』などの童話集を発刊し、児童文学振興に大きく寄与した。
出典:新宿ゆかりの文学者