
プロフィール
生年月日 | 明治2年8月12日(1869年) |
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没年 | 昭和9年11月3日(1934年) |
職業等 | 小説家 |
出身 | 岡山県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・忠功(ただかつ)。岡山県に生まれた。明治14年に軍人を志願して上京、18年に杉浦重剛の称好塾に入り、巌谷小波、大町桂月らと知り合った。小波の紹介で21年に硯友社同人となり、本格的に文筆活動を始める。24年春、牛込北町の貸家に転居。ここはかつて尾崎紅葉が住んでいたところであった。翌年、江水社を起こし、雑誌「小桜縅(こざくらおどし)」を創刊して花袋などの作品を掲載した。
明治27年に中央新聞に入社、『電光石火』で人気を博したが、29年、生活転換をはかり執筆に専念する決意で北町の家を去り神奈川県片瀬海岸に転居した。
その後再び東京に戻ると、博文館に入って週刊誌「太平洋」主筆をつとめたが、次第に趣味の世界に興じ文壇から遠ざかった。
代表作は、短編小説『女房殺し』『水蔭叢書』などの他、文学史資料としても貴重な『自己中心明治文壇史』などがある。小説、脚本など、生涯の作品数は二千点を超える。
出典:新宿ゆかりの文学者
明治27年に中央新聞に入社、『電光石火』で人気を博したが、29年、生活転換をはかり執筆に専念する決意で北町の家を去り神奈川県片瀬海岸に転居した。
その後再び東京に戻ると、博文館に入って週刊誌「太平洋」主筆をつとめたが、次第に趣味の世界に興じ文壇から遠ざかった。
代表作は、短編小説『女房殺し』『水蔭叢書』などの他、文学史資料としても貴重な『自己中心明治文壇史』などがある。小説、脚本など、生涯の作品数は二千点を超える。