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秋田 雨雀あきた うじゃく

青森県近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治16年1月30日(1883年)
没年昭和37年5月12日(1962年)
職業等劇作家・童話作家
出身青森県生まれ
ゆかりの地
  • 明治37年3月~昭和38年5月頃 早稲田鶴巻町135(松葉館)

経歴

 本名・徳三。青森県に生まれた。尋常中学校時代、島崎藤村の新体詩に触れ、明治35年4月に東京専門学校(現・早稲田大学)英文科に入学し、上京。当初は小石川に住む。在学中、社会主義者の演説を聞き啓発され、37年早稲田鶴巻町の松葉館(この下宿は武者小路実篤の叔父が主人)在住時に、二つの反戦詩を含む新体詩集『黎明』を自費出版した。雑司が谷に移り、結婚。卒業後、島村抱月の推挙を受けて小説「同性の恋」を「早稲田文学」に発表し、新人作家として活躍。さらに小内薫との交流から戯曲への関心を深め、戯曲集『埋れた春』を発表。その後島村抱月の芸術座、自らが組織した美術劇場など、新劇運動に深く関わりながら、社会活動家としても活躍。昭和に入ってからは、戯曲の筆を絶ち、日本プロレタリア・エスペランチスト同盟を創立、中央委員長を務めた。他に、童話集『東の子供へ』なども残しており、生涯を通じて作品の素材には宗教的・人道主義的傾向、あるいは反戦抵抗の思想が反映されていた。死の四ヶ月前まで、詩、童話、日記を書き続けた。

出典:新宿ゆかりの文学者