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生田 春月いくた しゅんげつ

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治25年3月12日(1892年)
没年昭和5年5月19日(1930年)
職業等詩人・評論家・翻訳家
出身鳥取県生まれ
ゆかりの地
  • 明治44年頃~ 横寺町
  • 大正3年3月~大正3年5月 早稲田鶴巻町
  • 大正3年6月~大正3年8月 弁天町10
  • 大正3年8月~大正4年9月 榎町59
  • 大正4年3月~大正15年10月 天神町53 【現・天神町63番地 新宿区登録史跡】
  • 大正15年10月~昭和5年2月 弁天町133
  • 昭和5年3月~昭和5年5月 弁天町44

経歴

 生田春月(本名・清平)は鳥取県米子市に生まれた。生家の事業の失敗から転居を重ね、幼少年期に朝鮮や大阪などで流浪の生活を送るなど辛酸をなめた。9歳頃より詩作を始め16歳で上京、同郷の先輩で小説家の生田長江の書生として創作活動を開始した。この時、同じく書生として長江宅に寄寓していたのが詩人・佐藤春夫である。
 春月は、大正3年以来、亡くなる昭和5年までの足かけ16年間を、弁天町・天神町など牛込の地で過ごした。詩作のかたわら独逸語専修学校の夜学でドイツ語を学んだ春月は、ハイネなどドイツ文学を紹介したり、ツルゲーネフ、ゴーリキーらの作品を翻訳したりもした。大正6年、天神町在住時には第一詩集『霊魂の秋』を発表、翌年発表した第二詩集『感傷の春』により詩人としての地位を確立した。
 その後も『春月小曲集』『慰めの国』『夢心地』『自然の恵み』などの詩集や、長編小説『相寄る魂』、評論『真実に生きる悩み』『山家文学論集』など、すべて牛込の地で著されたが、さまざまな相克に苦悩し、昭和5年5月19日別府行きの船上より播磨灘に投身自殺した。
 新宿区内を描写したものに、随想「神楽坂の情緒と江戸川べり」などがある。また葬儀が行われた弁天町の多聞院境内には、後年、春月の詩碑が建てられた。
出典:新宿ゆかりの文学者