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歌川 国芳うたがわ くによし

プロフィール

生年月日寛政9年11月15日(0年)
没年文久元年3月5日(0年)
職業等浮世絵師
出身東京都
ゆかりの地

経歴

歌川国芳は、寛政9年(1797)、染物業柳屋吉右衛門の子として生まれた。従来、日本橋本銀町生まれが定説となっているが、遺族には、四谷左門町で生まれた、と伝わることが近年判明している。
幼い頃から絵を嗜み、12歳のときに初代歌川豊国に認められ、15歳になった文化8年(1811)に豊国の門を叩いた。18歳頃から号として一勇斎・朝桜楼・国芳を用い、絵本や草双紙の挿絵のほか、役者絵も描いている。
その後、一時不遇の時代を迎えるが、文政10年(1827)頃、当時江戸で一大ブームになっていた『水滸伝』の錦絵を描くという仕事が彼の許に舞い込んだ。豪傑を一人ずつ描いた武者絵が評判となり、一躍人気絵師となる。
天保期(1830~44)には風景画も描き、「東都名所」などの作品も残した。また、幕末になると西洋画にも興味を抱いたようで、嘉永年間(1848~54)の「唐土廿四孝」などは、国芳の「洋風版画」として知られている。他にも諷刺画や美人画、歴史画など幅広い分野で活躍した。特に武者絵に関しては他の追随を許さず、「武者絵の国芳」として、「役者絵の豊国」「景色の広重」とともに、世に「三羽烏」と呼ばれた。墓は東京都小平市の大仙寺にある。
出典 『国史大辞典』『日本人名大辞典』悳俊彦『もっと知りたい歌川国芳』(東京美術2008)『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』(太田記念美術館2011)稲垣進一『国芳の武者絵』(東京書籍2013)