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芥川 龍之介あくたがわ りゅうのすけ

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治25年3月1日(1892年)
没年昭和2年7月4日(1927年)
職業等小説家
出身東京都生まれ
ゆかりの地
  • 明治43年秋~大正3年 内藤新宿2-71

経歴

 芥川龍之介は明治25年、京橋区入船町に新原敏三の長男として生まれた。生後間もなく実母フクが病に冒され、母の実家である芥川家に引き取られて養育された。実父は、牛乳搾取販売業耕牧舎の支配人で、各所に支店を設け、内藤新宿(現・新宿2丁目)に牧場を営んでいた。芥川家は、43年から一家で牧場の一角にある実父の持ち家に住んでいたことがあり、第一高等学校時代、寮生活になじめなかった芥川は、毎週土曜日には帰宅して養父母と過ごしていたという。芥川の『点鬼簿』(大正15年)には、次のような記述がある。
 「僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。僕に当時新しかった果物や飲料を教えたのは悉く僕の父である。バナナ、アイスクリイム、パイナァップル、ラム酒、―まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。」
 大正3年に、芥川家は豊島郡滝野川町字田端へと転居、以降新宿区内に住むことはなかったが、4年に級友林原耕三の紹介で早稲田南町の夏目漱石宅へ出入りをするようになり、門下生となった。翌年2月、第4次「新思潮」を発刊し、創刊号に発表した『鼻』が漱石に激賞され、以後古典に題材を求めた傑作を次々と発表した。しかし、晩年は精神的、体力的に追い詰められ、昭和2年7月24日「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」(遺書「或旧友に送る手記」)という言葉を遺し、田端の白宅で服毒自殺した。

出典:新宿ゆかりの文学者