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押川 春浪おしかわ しゅんろう

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治9年3月21日(1876年)
没年大正3年11月16日(1914年)
職業等小説家
出身愛媛県生まれ
ゆかりの地
  • 明治40年4月~ 牛込納戸町22
  • 明治41年2月~明治42年2月 牛込横寺町50
  • 明治43年2月~明治43年9月 牛込矢来町3
  • 明治45年2月~大正2年3月 横寺町50

経歴

 押川春浪(本名・方存(まさあり))は愛媛県松山市に生まれた。父方義はキリスト教界の重鎮で東北学院の創立者であった。明治学院・東北学院・札幌農学校などに学ぶものの、奔放な性格でどれも長続きせず、ようやく東京専門学校英文科に腰を落ち着けた。
 英文科に続き、法科にも学び、明治34年卒業した春浪は、その前年、処女作『海国冒険奇譚 海底軍艦』を巌谷小波の紹介で出版し小説家としてデビューした。日清、日露の両戦争の狭間にあたるこの時期、日本にも欧米の産業革命の波が本格的に押し寄せ,科学思想を盛り込んだ空想冒険小説家として春浪は頭角を現した。日露戦勝後には、『海国冒険奇譚 新造軍艦』『英雄小説 東洋武侠団』など国家意識の強い作品も発表、37年に入社した博文館では「日露戦争写真画報」を編集している。
 明治40年から晩年の大正2年まで約6年間、牛込の横寺町界隈に住んだが、この時期には雑誌「冒険世界」の主筆として活躍し、青少年の血をわかせる冒険小説を次々発表している。春浪の空想冒険小説は、後のSF小説の走りといえるものだった。また一方で、自ら「天狗倶楽部」を創立し、野球の普及にも力を注いだ。最晩年は田端の道灌山に転居し、そこで亡くなっている。
出典:新宿ゆかりの文学者