
プロフィール
生年月日 | 明治5年10月15日(1872年) |
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没年 | 昭和14年3月1日(1939年) |
職業等 | 劇作家、小説家 |
出身 | 東京都生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
本名・敬二。別号・狂綺堂、甲字楼主人。イギリス公使館に勤めていた岡本敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。東京府尋常中学を卒業したのち、東京日日新聞に入社。その後、中央新聞社、東京毎日新聞社など24年間記者の生活をおくった。従軍記者として日露戦争中は満州に滞在した。記者の仕事の傍らで戯曲を執筆し、明治44年に明治座で初演された「修善寺物語」などが好評を博し、新歌舞伎を代表する劇作家となった。「修善寺物語」は昭和2年にパリのシャンゼリゼ座でも上演された。
大正2年、執筆活動に専念するべく新聞社を退職した。関東大震災で麹町の自宅を焼失、14年に大久保百人町(現・百人町2丁日)に転居、一年余りを区内で過ごした。区内居住時に『綺堂戯曲集』第一巻を発行している。記者を辞めてからは、小説も執筆するようになり、長編小説や探偵物などを執筆した。また、綺堂の描いた江戸の世界は時代考証に正しく、シャーロック・ホームズに触発されて5年「文芸倶楽部」に連載を開始した捕り物小説『半七捕物帳』が彼の代表作となっている。
大正2年、執筆活動に専念するべく新聞社を退職した。関東大震災で麹町の自宅を焼失、14年に大久保百人町(現・百人町2丁日)に転居、一年余りを区内で過ごした。区内居住時に『綺堂戯曲集』第一巻を発行している。記者を辞めてからは、小説も執筆するようになり、長編小説や探偵物などを執筆した。また、綺堂の描いた江戸の世界は時代考証に正しく、シャーロック・ホームズに触発されて5年「文芸倶楽部」に連載を開始した捕り物小説『半七捕物帳』が彼の代表作となっている。