ホーム新宿区ゆかりの人物データベース

大庭 柯公おおば かこう

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治5年7月27日(1872年)
没年大正13年春(1924年)
職業等新聞記者、評論家、随筆家
出身山口県生まれ
ゆかりの地
  • 明治13年~18年 鮫ヶ橋
  • 明治18年~23年 大久保余丁町
  • 明治43年 四谷

経歴

 本名・景秋。山口県下関市に生まれる。筆名は大馬鹿公(おおばかこう)の語呂合わせ。明治17年に四谷小学校を卒業。給仕や書生をしながら、夜学で二葉亭四迷と共にロシア語を学ぶ。ロシア商館の通訳や陸軍のロシア語教師などを勤めた。大阪毎日新聞社に入社後、海外を旅行し、紀行文を発表する。その後、東京朝日新聞社で第一次世界大戦を取材し、文名を上げた。大正7年日露戦争の講和に反対していた大阪朝日新聞社の白虹事件によって朝日新聞社を退社する。この頃、著作家組合、日本社会主義同盟の創立にかかわった。10年読売新聞社の特派員としてシベリアを経由して革命後のモスクワに至るも、スパイ容疑で逮捕され、以後消息を絶った。没年は正式の死亡通知によるもの。
 なお、大庭はウラジオストクでエスペラントを学び、日本エスペラント協会(JEA)に入会。エスペラントの普及活動に当たった。