
プロフィール
生年月日 | 明治38年6月2日(1905年) |
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没年 | 昭和54年6月5日(1979年) |
職業等 | 詩人、小説家 |
出身 | 茨城県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
茨城県筑波郡に生まれる。早稲田高等学院露文科に進んだ。在学中にダダイズムに触れ、プロレタリア文学に傾倒する。プロレタリア作家同盟に加入し、全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関誌「戦旗」の編集責任者をしながら、同誌および「プロレタリア文学」に詩、小説を発表していたが、戦旗社から『蟹工船』を刊行した小林多喜二が昭和8年獄死したのちは、大宅壮一と「人物評論」を発刊するなどして大衆文学に進んだ。
戦争中は石鹸会社に入社し、戦後はコピーライターとして次々とヒットを飛ばし、広告業界で活躍。33年東京コピーライターズクラブを創設、晩年は日本デザイナー学院長などを務め、人材育成に力を注ぐ。
戦争中は石鹸会社に入社し、戦後はコピーライターとして次々とヒットを飛ばし、広告業界で活躍。33年東京コピーライターズクラブを創設、晩年は日本デザイナー学院長などを務め、人材育成に力を注ぐ。