
プロフィール
生年月日 | 明治27年10月21日(1894年) |
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没年 | 昭和40年7月28日(1965年) |
職業等 | 推理小説家 |
出身 | 三重県生まれ |
ゆかりの地 |
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経歴
三重県名賀郡(現・名張市)に生まれた江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、中学時代から押川春浪や黒岩涙香(るいこう)などの小説に親しみ、早稲田大学に進んだ。卒業後、職を転々とした乱歩は、大正12年、『二銭銅貨』を雑誌「新青年」に発表し、小説家としてデビューした。
乱歩の新宿での足跡は、自ら「住居の移転はそれ(注:職業)よりも激しく、子供の時から現在の池袋に定住する40歳までに40回住居を変えている」(「私の履歴書」)と記すように、新宿区内だけでも11ヶ所転居している。
区内で最後に住んだ戸塚町大字源兵衛では、全集の印税で民間企業の社員合宿所だったところを買い取り、昭和3年から6年まで、「緑館」という下宿屋を経営していた。さらに下宿屋の玄関と同じ並びの、別棟の小さい二階家を書斎とし、ここで『陰獣』を著した。乱歩の『探偵小説四十年』には当時を振返り「その頃の私はその窓のない部屋の万年床の中で、昼も十燭台の電灯をつけて、読んだり書いたりしていた」とある。しかしこの下宿は下宿人の争議により廃業した。主な作品に『屋根裏の散歩者』『人間椅子』など奇抜な着想と科学的推理による本格推理小説や、「少年倶楽部」に連載された『怪人二十面相』などの少年ものがあり、いずれの分野でも読者から高い人気を得た。
戦後は評論執筆の他、日本推理作家協会の設立などに尽力した。
出典:新宿ゆかりの文学者
乱歩の新宿での足跡は、自ら「住居の移転はそれ(注:職業)よりも激しく、子供の時から現在の池袋に定住する40歳までに40回住居を変えている」(「私の履歴書」)と記すように、新宿区内だけでも11ヶ所転居している。
区内で最後に住んだ戸塚町大字源兵衛では、全集の印税で民間企業の社員合宿所だったところを買い取り、昭和3年から6年まで、「緑館」という下宿屋を経営していた。さらに下宿屋の玄関と同じ並びの、別棟の小さい二階家を書斎とし、ここで『陰獣』を著した。乱歩の『探偵小説四十年』には当時を振返り「その頃の私はその窓のない部屋の万年床の中で、昼も十燭台の電灯をつけて、読んだり書いたりしていた」とある。しかしこの下宿は下宿人の争議により廃業した。主な作品に『屋根裏の散歩者』『人間椅子』など奇抜な着想と科学的推理による本格推理小説や、「少年倶楽部」に連載された『怪人二十面相』などの少年ものがあり、いずれの分野でも読者から高い人気を得た。
戦後は評論執筆の他、日本推理作家協会の設立などに尽力した。