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宇野 千代うの ちよ

新宿歴史博物館所蔵(外部サイト)

プロフィール

生年月日明治30年11月28日(1897年)
没年平成8年6月10日(1996年)
職業等小説家・着物デザイナー
出身山口県生まれ
ゆかりの地
  • 昭和9年~昭和14年 大番町104

経歴

 山口県玖珂郡(現・岩国市)に酒造家の長女として生まれた。岩国高等女学校を卒業後、小学校の代用教員となるが、同僚教師との恋愛で諭旨免職となり単身京城(ソウル)へ渡った。帰国後、従兄弟と結婚し札幌に転居するが、時事新報の懸賞小説で「脂粉の顔」が一位となり単身上京すると、二位の尾崎士郎と意気投合して夫のもとには帰らなかった。以後、『罌粟はなぜ紅い』『色ざんげ』などを発表した。
 昭和9年大番町に転居。この時期は既に尾崎と別れ、その後に出会った画家の東郷青児とも距離をおきはじめた頃で、『あいびき』『別れも愉し』『人形師天狗屋久吉』などを発表。また一方で、服飾雑誌「スタイル」を創刊し話題となった。14年、以前より交際していた北原武夫と結婚し小石川に転居、大番町の家は編集室として使われた。
 「スタイル」は、戦時中に解散したが、戦後すぐに復刊し34年まで続いた。戦後は『おはん』『幸福』『生きていく私』などを発表したほか、着物のデザインを自ら手がけるなど、多方面で活躍した。
出典:新宿ゆかりの文学者