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青柳 有美あおやぎ ゆうび

プロフィール

生年月日明治6年9月27日(1873年)
没年昭和20年7月10日(1945年)
職業等評論家
出身秋田県生まれ
ゆかりの地
  • 大正4年~5年 荒木町27-5-3
  • 大正6年 南伊賀町41
  • 大正8年 大久保町大字東大久保357
  • 大正15年頃~昭和11年頃 落合町大字下落合367【林泉園】

経歴

 秋田県に生まれた。本名・猛(たけし)。神田相生橋(現・神田淡路町)の共立学校で学んだ後、キリスト教に入信、明治20年洗礼を受ける。同志社普通学校卒業後に、明治女学院で英語・倫理を教えながら、文京区のカトリック関口教会で牧師をする。秋田県立秋田中学校などの教諭となったが、その後、評論家として文筆生活に入る。
『有美臭』『最新結婚学』『恋愛読本』などの独特の女性観に基く辛らつ軽妙な評論集を数多く刊行したが、30年に刊行した『恋愛文学』(春陽堂)は発禁処分となった。明治女学院の校長も勤めた巌本善治の「女学雑誌」に関わり、最後の発行兼編集人となる。大正期には実業之世界社で「女の世界」の編集に携わり活躍する。
 昭和11年、小林一三の招きで宝塚音楽歌劇学校嘱託となり、生徒監兼修身科を担当した。