ホーム新宿区ゆかりの人物データベース

饗庭 篁村あえば こうそん

財団法人日本近代文学館提供(外部サイト)

プロフィール

生年月日安政2年8月15日(1855年)
没年大正11年6月20日(1922年)
職業等小説家、劇評家
出身東京都生まれ
ゆかりの地
  • 明治44年~大正5年 赤城下町82
  • 大正6年~11年 大久保町大字東大久保406 ※同地にて死去

経歴

 本名・与三郎。東京下谷龍泉寺町生まれにちなんで、別号・龍泉居士と称す。また、太阿居士、竹の屋(舎)主人とも。読売新聞社に文選校正掛として入社し、すでに『当世書生気質』を著していた坪内逍遥の知遇を得て、明治19年同紙に『当世商人気質』『人の噂』を連載した。この頃、篁村は下谷根岸に居移し、周辺に居住した須藤南翠・森田思軒・幸田露伴などの文人ともども「根岸党」(のちに「根岸派」)と呼ばれるようになり、重鎮として活躍した。
 22年に東京朝日新聞社に移り、竹の屋主人の名で没するまで同紙に劇評を執筆した。江戸文芸に関する随筆・評論も多く、25年には東京専門学校(現・早稲田大学)で近松門左衛門を講じている。
 また、ポーの翻案「西洋怪談 黒猫」「ルーモルグの人殺し」なども発表している。幸田露伴は篁村と須藤南翠を「明治二〇年前後の二文星」と評価している。新旧文学の交替期に、江戸文学を継承した作風で活躍した。大正11年大久保町大字東大久保で没した。